焚き火 diary

火と向かい合う。自分が見えてくる。

映る私

 人の目を気にしないほうが楽に生きていけるのでしょうが、たまに、ビックリするような視点で他人から自分を分析されることがあって、ビックリすることがあります。

私は出勤の日、昼ご飯はなるべくお弁当にしているのですが、今日のランチタイムに同僚から『○○(私)のお弁当はいつもオシャレですごーい』と言われ、少々面喰いました。

おいしそう、ではなく、『オシャレ』。 ・・・う~ん。 弁当がオシャレってどういうこと? 不思議に思い、どういうところがオシャレなのか聞いてみたら、『なんか、カフェのプレートに出てくるようなお料理がいろいろ詰まっていて、色とりどりでなんかオシャレっぽくてステキ』なんだそうな。 あ~それは『常備菜』のことを言っているんだなと、すぐ思いつきました。

常備菜。 別名、作り置き。 ま、この話はいずれ書くとして。 今日思ったのは『他人の目線って、ホント想定外でおもしろい』ということ。 私が毎日お弁当に常備菜を詰めてくるのは、別にオシャレを狙っているわけではなくて、私の面倒くさがりな性格上致し方なくしているだけことなのですが、それが他人の目にはオシャレに映るらしく、最終的には私の生活そのものがなんかオシャレっぽく見えるのだそうです。 人様の勝手な判断ですから別に気にせず聞き流せばいいんですが、そのちょっとした一言によって自分の新しい側面を気づくきっかけになることがある。

ふむふむ、なるほど。 自分が思っている以上に、自分自身のことに気づけていないんだな。 だとすれば、他の人の目に映る私というのが主観を通さない本来の私であって、自分で『私はこういう人間なんだ』と思いこんでいることというのは、意外と的外れなことがあるのかもしれない。

人さまの目を楽しんだ者勝ち。 と言ったら言い過ぎでしょうか?