焚き火 diary

火と向かい合う。自分が見えてくる。

お別れの会

父の遺骨を持って、ふるさとに帰省してきました。

愛知県岡崎市。 私が高校まで18年間過ごした街。 父にとっても教員として数十年過ごした、懐かしい街です。

突然の他界だったので葬儀は山梨で行いましたが、なんといっても父にとって愛知がふるさと。 最後のお別れの会を地元の菩提寺で開くことにしました。

理科の教員だった父は、現役中愛知県内のいくつかの中学校を転勤で異動したため、あちこちに『教え子』と呼ばれる人たちがいます。 分かる限りの方に連絡を取り、『お寺で最後のお別れ会を開催するので、もしよかったら来てほしい』と話しました。 ただ、最後の6年間は山梨で暮らしたため、最近は一部の教え子の方たちとも疎遠になっていました。 こんな状態で、一体何人の方が父のお別れ会に来てくださるのか、まったく予想できませんでした。

そして当日。 

会場となったお寺の本堂は人でいっぱいになりました。 こんなに多くの方が父を慕ってきてくださるとは。 愛知を離れても、ずっと父のことを心配してくれていた方たちがこんなにいたなんて。 みな口々に、『学生時代は先生(父)に本当にお世話になった。 卒業してからもずっと気にかけてくれていた。 最後に先生にお別れを言う機会がもらえてよかった』と言ってくれました。 この時ばかりは、父が亡くなったという悲しさや寂しさよりも、最後まで多くの人に慕われていた父の大きさを感じました。

会の冒頭、まず住職の読経があり、続いて焼香、喪主である私のあいさつの後、別室でみんなでお茶を飲みました。 家から持参した父の写真を見ながら、みんながそれぞれ父との思い出話を聞かせてくれました。 涙の別れという感じではなく、みんな楽しげで懐かしそうで、穏やかな雰囲気のうちに会を静かに閉じることができました。 

人は、亡くなった後にその人の本当の大きさが分かるといいます。 そういう意味で、今回は父についてこれまで気づかなかった多くのことを知る機会になりました。

『こういう人たちに囲まれて生きてきたんだね。

大変なこともあったと思うけど、きっと幸せだったよね』と、父の遺影に、最後に声をかけました。